2011年7月24日日曜日

「原発めぐり揺れる保守論壇 核武装諭と絡める主張も」(「朝日新聞」7月19日)

「脱原発」はリベラルないし左翼の専売特許、というのはもう古いらしい。
いつぞやの新聞には、明治天皇の曾孫(?)とかいうお方の脱原発の主張が掲載されていた。
あの大事故の前と後では、いろんな意味での「転換」はあって当然だろう。

「朝日新聞」7月19日付けに、保守(右翼)論壇の動向について書かれていたのでご紹介。
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(見出し)
原発めぐり揺れる保守論壇 核武装諭と絡める主張も

(記事)
脱原発をめぐり、保守論壇が揺れれている。

「新しい歴史教科書をつくる会」の初代会長を務めた保守派の評論家・西尾幹二は、月刊誌「WiLL」7月号に「脱原発こそ国家永続の道」と題した論文を発表。
「国土は民族遺産である。汚染と侵害は許されない」と保守派らしい言いまわしで、脱原発派への「転向」を宣言した。

保守論壇の大勢は、なお原発推進だ。

産経新聞社は社説で原発推進を堅持している。
西尾は、間もなく原子力の安全神話が再び言論界を覆うだろうと予測し、「産経新聞は懲りずにすでにそうである」(同誌8月号)と手厳しい。

原発の維持や推進を、エネルギー問題としてではなく、核武装と関連づける議論も登場し始めた。

評論家の西部邁は「表現者」37号の座談会で、原発が安全でないことを前提にしつつ、国家の自主独立には核武装とエネルギー自給が不可欠であるとし、原発容認の姿勢を見せた。

産経新聞の報道によれば、ジャーナリストの桜井よしこは講演会で「核をつくる技術が外交的強さにつながる。原発の技術は軍事面でも大きな意味を持つ」と発言。

14日に配宿されたAFP通借のインタビューでは、石原慎太郎東京都知事も、今後も原発は必要とした上で「日本は核兵器を持つべき」と答えたという。

西尾も「WiLL」8月号の論文「平和主義ではない『脱原発』」で、核武装の問題に踏み込んだ。
原発を停止すればかえって日本が 独自に核武装する道が開ける、というのだ。
原発を運転している限り、使用済み核燃料の処理やウラン濃縮など、米英など多くの国の協力が不可欠だからだ。
7月号と比べると、より保守派の路線に回帰したともとれるが、脱原発に踏み切れない保守論壇に向かって、「だから安心してこちらに来い」と説得しているようにも見える。

これまでは、原発推進派にとっても、原発はあくまで「原子力の平和利用」であり、核兵器とは明らかに一線を画すものとされていた。
しかし市場経済を重視する人々の中からも河野太郎衆議院議員やソフトバンクの孫正義社長のような、「脱原発の旗手」が登場するなど、経済合理性の観点からも原発は割が合わないと見られるようになってきた。

そこで、最後に残る原発推進の論理が、核武装のための原子力利用ということなのだろうか。 
(樋口大二)
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「核武装」のための「脱原発」、だそうだ。

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