1902(明治35)年
12月6日
第17議会召集。
16日、衆議院委員会、地租増徴継続案を否決、停会。
20日、再度停会。
28日、解散。
12月7日
佐野常民(81)、没。赤十字創立。
12月9日
イギリス・ドイツ、ベネズエラ艦隊4隻拿捕。ベネズエラに外債返済を強要する両国間の合意事項実行の端緒に。後、英独伊はベネズエラの5港封鎖により負債返済を迫る。
13日、イギリス・ドイツ・イタリア、ベネズエラの外債不払いに対し武力干渉(~1903年12月13日)。
19日、ベネズエラの独裁者シプリアノ・カストロ、欧州列強の要求を米の仲裁に委ねることに合意。
12月10日
エジプトでアスワン・ダム、完成(建設期間は4年間)。
12月13日
哲学館事件。文部省、哲学館講師中島徳蔵の倫理学講義が国体を損なう不穩学説であるとし、卒業生の中等教員無試験検定の特典を剥奪。
12月13日
アルゼンチン外相、ドラゴ主義を提唱(~12.29)
12月13日
ペルシア、ロシアの圧力を受けロシア優遇・イギリス冷遇の関税政策をとる。ロシアはペルシアに1,000万ルーブルを貸し付けて、影響力をさらに増加。
12月16日
丸善、「大英百科全書」全25巻を発行。
12月16日
呉海軍造兵廠第1火薬庫が爆発。死者4人、重傷7人。
12月17日
京師大学堂開学。
12月17日
教科書疑獄事件。小学校教科書売り込み競争に伴う教科書会社と視学官らの汚職事件、一斉検挙開始(教科書疑獄事件)。
1903年6月21日までに、新潟・宮城・栃木・島根・宮崎各県知事・県書記官・視学官・教員・教科書会社関係者ら157人を検挙。116人が有罪。
12月17日
キャデラック車がデトロイトで初めて製造。ニューヨーク州バッファローで販売。
12月18日
英、バルフォア教育法制定。初等・中等教育を地方教育行政当局の管轄下におき中等教育が国家の義務となる。結果、5年間で中等学校の数が倍増。
12月19日
イギリス・ドイツ・イタリア海軍、債務支払不履行を理由にベネズエラ海岸封鎖。米もモンロー宣言を理由に外交介入。ベネズエラの独裁者シプリアノ・カストロ、欧州列強の負債返済要求を米の仲裁に委ねることに合意。
12月22日
韓国から移民100名がハワイへ出発。
12月24日
作家・評論家・文学博士高山樗牛(32)、肺結核のため平塚の杏雲堂で没。
12月24日
東京本所押上にペスト発生。東京に初めてペスト侵入。東京瓦斯紡績会社の女工寄宿舎に発生。治療にあたった横田利三郎医師も感染して死亡。真性患者は12人にとどまり、4人は全治。
12月25日
桂首相、政友会・憲政本党幹部と会談、地租問題の妥協案(地租率軽減)を提示するが物別れ。
12月25日
川俣事件。東京控訴院、控訴棄却・公訴不受理判断。裁判消滅。
12月26日
福岡の十七銀行支払停止。
翌年6月5日、安田善次郎の救済により開業。
12月27日
学生鉱毒大挙視察大演説会
12月27日
この日は子規百ヵ日。11月6日(子規四十九日忌)の追悼句会の成果を含んだ「ホトトギス 子規追悼集」が、虚子の手で編まれ出版される。
12月28日
井植歳男、誕生。三洋電気創立
12月28日
英国で建造された軍艦「三笠」、横須賀に到着。
12月28日
政府と野党の妥協不成立で、衆議院(第17議会)は地租条例改正案の採決直前に解散を命じられる。
12月28日
啄木、盛岡中学校の後輩で上京中の金子定一(のち陸軍少将)の厚意で、その友人紀藤方策の紹介状を持って金港堂に雑誌「文芸界」の編集主任佐々醒雪(政一)を訪問、「文芸界」の編集員として就職を希望するが面会できず失敗に終る。当時金子定一は神田錦町三丁目の力行会に宿り苦学して夜間中学校に通っていたが、啄木はこの年末から翌年正月にかけ力行会の金子の部屋に滞在。
12月31日
英独伊、損害賠償・累積債務完済求めベネズエラの5港湾・海岸全域艦隊封鎖。
12月31日
オーストリア・ハンガリー間の経済的妥協に関する協定締結。
つづく
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