1908(明治41)年
9月16日
ブッフラウ会談。オーストリア=ハンガリー外相アーロイレクサ・フォン・エーレンタール、ロシア外相アレキサンダー・イヴォルスキー。ロシアはオーストリアのボスニア・ヘルツェゴビナ2州併合承認。オーストリアはボスポラス海峡のロシア戦艦通過認める。
9月17日
(漱石)
「九月十七日(木)、木曜会、森田草平・野上豊一郎来て、天才論をする。小宮豊隆泊る。
九月十八日(金)、小宮豊隆帰る。服部嘉香、『早稲田文学』の談話筆記に来る。猟の死にもふれる。
九月十九日(土)、高浜虚子は正岡子規の追懐談を求める。(正岡子規七回忌)
九月二十日(日)、曇後晴。正岡子規旧宅で、句会催される。題萩五句互選。八十九人集る。句会後、有志たちは太龍寺に墓参する。馬場孤蝶・寺田寅彦来る。夕方まで雑談する。筆・恒子、小宮豊隆を訪ねる。
〔九月二十一日 (月)、Ernest Francisco Fenollosa(フェノローサ)、ロンドンで死去する。〕」(荒正人、前掲書)
9月18日
小川正孝、43番元素ニッポニウムの発見を発表。『東京帝国大学紀要理科』25冊15・16編。のち誤認と判明。
9月19日
社会党フィレンツェ大会。~22日。改良主義の勝利。
9月19日
ヘルマン・ミンコフスキー、時間を4次元と見れば特殊相対性理論がより完全になると示し4次幾何学を提唱。
9月19日
グスタフ・マーラー交響曲第7番初演(プラハ)
9月19日
米・物理学者ワイスコプフ、誕生。
9月20日
「熊本評論」、廃刊。
9月20日
サラサーテ、ピアルリッツで没
9月21日
日(82人)韓(33人)両国政府任命・東洋拓殖株式会社設立委員、東京で定款決定。
翌月、株式募集。
9月21日
海軍中将坂本俊篤、参事官山座円次郎を海戦法規会議全権委員に任命。
9月23日
森近運平、幸徳の柏木平民社に寄宿。9月5日、大阪監獄を出獄、しばらく郷里岡山で静養後。
9月23日
横浜鉄道、東神奈川~八王子間開通。
9月23日
(漱石)
「九月二十三日 (水)、曇。秋季皇霊祭。秋分の日。
九月二十四日(木)、小宮豊隆来る。寝転んで (推定)、雨の音を聴きながら、二人で語り合う。小宮豊隆泊る。
九月二十五日 (金)、小宮豊隆帰り、午後また来る。夜遅く帰る。」(荒正人、前掲書)
9月23日
「九月二十三日
(略)
せつ子から長い手紙。家族会議の結果、先づ一人京子をつれて上京しようかと思つたが、郁雨君にとめられたといふ。冷汗が流れた。三畳半に来られてどうなるものか。噫。大谷女学校に教師の口、当分出ようかといふ。現在の自分の境遇と、一家の事情と、そして妻の悲しくも健気なる決心を思ふては、胸が塞つた。
詳しく此方の事情をかいた返事を出した。
(略)」(啄木日記)
9月23日
墺エーレンタール外相、青年トルコ政権の対バルカン政策に対抗しブルガリア独立支持を約束。
9月23日
アルバータ大学創立
9月24日
農商務省、狩猟法施行規則改正公布。駒鳥、メジロなど59の鳥類、捕獲禁止される。
9月25日
閣議、対外方針(日英同盟を外交の中心とする)・満州に対する諸問題解決方針(6案件を一括交渉)決定。
9月25日
カサブランカ事件。仏外人部隊より脱走の独兵3人をドイツ領事館官から連行され独仏関係緊張高まる。
9月27日
(光緒34年8月1日)清朝、欽定憲法大綱制定。中国初の拳法。議会開設・選挙綱要公約。
9月27日
京都の観月橋、鉄橋に改架、落成。延長179メートル。
9月27日
(漱石)
「九月二十七日 (日)、「午後夏目先生を訪ふ。高須賀氏より貰ひし五位鷺の檻を作り猫の墓の傍に置く。庭にある花水引草。萬珠沙華は盛りにてほとゝぎすは莟なり。柘榴は笑はず隣の栗は枝たわゝなり。坑夫のモデル新井某の其後の顛末を聞く。」(「寺田寅彦日記」) (「三重吉と平野屋で飲む。なんだか與次郎と三四郎みたやうな氣がしてならない。」 (「小宮豊隆日記」))
(九月二十九日(火)、「寺田さんが博士になる由新聞に出てゐた。なんだか甚だ愉快だつたので、お喜びのはがきを出す。十月一日に文部省からもらふんださうだ。」(「小宮豊隆日記」)
(九月三十日(水)、「朝迄の降雨は氣象臺創立以来の毎時最大雨量を示せし由/市中出水の箇所多く。所〃崖崩れ死傷者あり」(「寺田寅彦日記」))
九月下旬か十月の初め(日不詳)、大町桂月、初めて訪ねて来る。
秋(不離かな推定)、後藤宙外(『新小説』編集主任)の意を受けて、本多直次郎(嘯月)来る。福島県の猪苗代湖畔に「文士村」をつくる計画だからぜひ参加して欲しいと云う。坪一銭五厘である。本来ならば、眺望の最も良い所を三町か五町欲しいものだと伝える。(現地調査に赴いた春陽堂の小林管理は、余りに寒く、余りに淋しいからだめだという。小林管理は、猪苗代湖の翁島に有栖川宮の別邸が出来るので、猪苗代湖畔の地価は、一坪十銭に急騰したので、一銭五厘の望なしと伝える。「文士村」の計画は挫折する)
(鳥籠)金網を張った四角な鳥籠である。猫の正面向いた丈高い墓の前に、平たい丸い石をおき、その三方に花活けあり、水引草と蘭の花を挿してある。これは、鏡の手向けたものである。(推定)他の二つの花活けには蘭の花が雑然と挿されている。
(三重吉)井上哲次郎の推薦によって私立成田中学赴任が決定し、校長は葛原運次郎であった。七月、帝国大学文科大学英文学科を卒業して、同月父悦二の死去と重なった。
(文士村)明治三十四年五月から明治四十年十月まで、猪苗代湖畔の仮寓から、用事のある期間だけ上京する。現地で地価の極めて低廉なことを聞き、「文士村」の建設を思付いたものである。泉鏡花・柳川春葉その他の文学者も参加する。春陽堂の主人も加わる。」(荒正人、前掲書)
9月27日
米国でフォード・モデルT完成
「モデルTは1907年10月に最初のプロトタイプ2台が完成、翌1908年3月に発表されたが、市販開始は同年10月からとなった。デトロイトのピケット工場で最初の市販モデルTの1台がラインオフしたのは、1908年9月27日のことである。
モデルTは、当時のアメリカにおいて小型車カテゴリーに当たるクラスで、最初600ドルの格安価格での販売を計画されていた。だが実際にはコストダウンが追いつかず、モデルNよりやや上級のクラスとして850ドル以上の価格で発売された。それでも同クラスの自動車が1,000ドル台の価格帯であっただけに非常な好評で、翌1909年4月までには3か月分のバックオーダーを抱えることになり、7月までの受注停止を強いられた。1909年の1年間だけでも1万台を越えるモデルTが生産され、当時としては桁外れのベストセラーとなった。
この大ヒットに直面したヘンリー・フォードは、並行生産していた小型車モデルN、R、Sや高級車モデルKの生産を停止し、モデルTただ1種に絞り込んだ大量生産を決断した。」(Wikipedia)
9月29日
内務省、警察犯処罰令を公布。30日未満の拘留、20円未満の科料に処する軽犯罪につき規定。10月1日施行。
9月29日
文部省、社会主義の浸透を警戒し、学生生徒の風紀取締強化につき通牒。同人雑誌編集、観劇、読書傾向の統制などを指示。
9月29日
片山東熊、高山幸次郎設計の表慶館(東京帝室博物館構内)完成。
9月30日
幸徳秋水、柏木より豊多摩郡巣鴨村に引っ越す、巣鴨平民社。この頃、守田有秋・徳永保之助・川田貞吉(愛人者)などが幸徳を訪問。この日前日(29日)には内山愚堂が、秘密出版の印刷機購入を兼ねて訪れる。
9月30日
日韓瓦斯株式会社創立(資本金300万円、東京)。11月3日、初点火。
9月30日
文部省、東京帝国大学暦に明治42年暦より陰暦の月日を記載せずと告示。明治43年神宮暦では陰暦、月齢の形で残される。
9月30日
メーテルリンク童話劇「青い鳥」初演(モスクワ)
つづく
30 ・ダヴィッド・オイストラフ、誕生。

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