東京 江戸城東御苑のツワブキ(2011-11-02)
*明治36年(1903)
6月
・根岸短歌会『馬酔木』創刊。のちの『アララギ』につながる。
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・片山潜「都市社会主義」
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・内村鑑三、『万朝報』などで日露開戦に反対。戦争絶対反対の主張を開始。
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6月1日
・東京日比谷公園、仮開園式。日本で最初の西欧式都市公園。設計本多静六(のち東大教授)。5万1,000余坪、
翌年2月、園内に洋風喫茶店松本楼開店。明治35年5月、竣工。
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6月1日
・フィリピン植民地政府、ムスリム地域を纏めモロ州設立。
ゲリラ対策として住民集団強制移住法を制定。
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6月2日
・貴族院、海軍拡張案可決。
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6月2日
・京都に聖護院洋画研究所開校(関西美術院の前身)。
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6月3日
・政府、鉱毒調査委員会の調査報告書を発表。谷中村瀦水池案浮上。
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6月3日
・駐英公使内田康哉、中国の英公使館から武官デュカット中佐のロシアが戦争準備しているとの報告書を提供され、外務省に送付。
デュカット中佐は奉天、遼陽、営口などに旅行しその見聞と情報を綜合して判断したという。
①ロシアは満州占領を永久化するためのあらゆる手段をとりつつあり、他国の軍事的介入があるとすれば、それは日本だと考えている
②鉄道警備に必要である以外に、ロシアは物資の貯蔵と戦略地点への配兵を急いでいる。これは、できるだけ早く日本に交戦を強制する意図のあらわれとみなされる。
③大連で、ロシア側はギンスプルク商会ほか1社に石炭25五万トンの90日以内納入を発注。うち8千トンは英国カーディフ炭、10万トンは日本炭を指定したという。在清英軍部隊の石炭需要量が1日約千トンであることと照合すれば、これは『戦時発注』である
中佐の判決は、
「ロシアは、ロシア軍の移動が容易で日本軍の上陸が困難な時期、すなわち本年晩秋または初冬に対日開戦を企図しているものと確信する」
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6月4日
・漱石(36)、文科大学学長に大学図書館教職員閲覧室の隣室事務員が騒がしいと書面で訴える。
この頃、漱石は精神的不安定状態が続く。
妻鏡子によれば明治36(1903)年6月頃~明治37(1904)年5月頃迄続く
「梅雨期頃からぐんぐん頭が悪くなつて、七月に入つては益々悪くなる一方です。夜中に何が癪に障るのか、無暗と癇癪をおこして、枕と言わず何といはず、手当り次第のものを放り出します。子供が泣いたといつては怒り出しますし、時には何が何やらさつぱりわけがわからないのに、自分一人怒り出しては当り散らして居ります。どうにも手がつけられません。」(「漱石の思ひ出」)
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6月4日
・第18特別議会、閉会。
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6月6日
・外務省政務局長山座円次郎、政友会代議士小川平吉に招かれ料亭「田中」で、日露戦争の必至と伊藤元老の軟弱を批判。
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6月6日
・ロシア、アラム・イリイチ・ハチャトゥリャン、グルジア共和国トビリシに誕生。
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6月8日
・参謀本部部長会議。総務部長井口少将、第1部長松川大佐、第3部長大沢界雄大佐、第4部長(心得)大島健一大佐、第5部長落合豊三郎少将。要望により総長大山巌元帥も出席。
井口少将が代表して意見書を説明。
ロシアに「公然撤兵を要求」し「談判破裂」の時は武力に訴えるべきと提言。
他の部長も同調。
後、大山は桂首相を訪問、「今日ナレバ御引受申ス」と早期開戦を進言。
既に、4月21日「無隣庵」で山県・伊藤・桂・小村は開戦決意。
反政府勢力を刺激し、ロシアに開戦の口実を与えないため秘匿。
(井口少将)
「朝鮮ニシテ一度彼ノ勢力範囲ニ帰スルトキハ(朝鮮海峡、日本海、黄海の制海権を奪われて)日本帝国ハ扶桑ノ一孤島ニ蟄伏セヲレ……対馬及北海道ノ如キ帝国主要ノ属島モ、彼ノ欲スル所ニ従ヒ其占領ニ委セザルベカヲザルノ悲運ニ際会スルナキヲ保セズ」
財政問題については、
「(戦争遂行に際して)最モ切要ニシテ最モ欠乏ヲ患フルモノハ、国ノ兵カニアラズ、海運力ニアラズ、智力ニアラズシテ、金力ナリトス」
戦費は「約五億円」と見込まれ、うち1億5千万円を国庫負担、3億5千万円を公債にして「五十ヵ年償還、年六分ノ利子」にすれば、戦後国民の負担は「最大年額二千八百万円」になる。
「一国ノ存亡ニ係ル大事ノ為ニハ、国民タルモノ此額ノ負担ニ堪へザルノ理アランヤ」
もし勝利の結果の賠償金を獲得すれば、「国民ハ前記ノ負担ヲ免ルルノミナラズ軍費ヲ償ツテ尚余剰」が見込まれる。
「某諜者」によれば、駐日ロシア公使R・ローゼンは、
「日本ノ内政外交ハ、一ニ元勲ノ同意ナクシテハ行ハレズ。内閣総理大臣モ其意志ニ反シテ一事ヲモ断行スル能ハズ。又、元勲ノ幇助ナキ内閣ハ、成立スルヲ得ズ。
而シテ所謂元勲タル三、四人者ハ、功成リ名遂ゲテ年老タレバ、今ニ迨(およ)ンデ一国ノ安危ヲ賭シテ露国卜戦ヲ決スル如キハ万之無力ルぺシ」
との報告を本国に送っている、という。
「彼我兵力ノ関係、西伯利鉄道ノ未完全、日英同盟ノ存立、清国民ノ敵愾心等今日ヲ以テ最好機トシテ、此好時機ハ今日ヲ逸シテハ決シテ再ビ得ベカラズ」
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6月9日
・元老伊藤博文、政友会幹事長原敬に対して、小村外相が伊藤・クロパトキン会談で日露協商交渉できぬかと打診してきた、と述べる。
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6月10日
・7博士事件
東京帝国大学法科大学教授戸水寛人・小野塚喜平次・富井政章ら7博士、政府へ建議書提出。
満州・韓国交換の対露方針に反対。
6月24日「東京朝日新聞」に公表。
戸水寛人:
「日本はバイカル湖以東のシベリアまでことごとく占領すべし」と主張し「バイカル博士」と渾名される。ローマ法の権威。
小野塚喜平次:
最後に加わり、すぐにメンバから抜ける。主戦論ではあるが開戦論ではないため。
京大澤柳事件では、小野塚が主導して東大が京大と連携し大学の自治を守る。
京大滝川事件では、東大側(有沢ら)を守るため鳩山文相と密約し、沈黙。
昭和3年東大総長。新渡戸稲造・美濃部達吉と交友、晩年は内村鑑三とも交友。門下に吉野作造・南原繁。
「大凡(おおよそ)天下の事一成一敗間髪を容れず、能く機に乗ずれば、禍を転じて幸となし、機を逸すれば幸を転じて禍となす。
・・・遼東還附の際其不割譲の条件を留保せざりしは、是れ実に最も必要の機を逸せるものにして、今日の満洲問題を惹起せる原因と謂はぎるべからず。
・・・若し独逸にして手を膠州湾に下す能はずんば、露国も亦容易に旅順大連の租借を要求すること能はざりしや明かなり。
然るに、我邦逡巡為す所なく遂に彼をして其慾望を逞するを得せしめたるは、実に浩嘆の至りに堪へず、・・・今や露国は次第に其勢力を満洲に扶植し、鉄道の貫通と城壁砲台の建設等により、漸く其基礎を堅くし、殊に海上に於ては盛に艦隊の勢力を集注し、・・・彼れ地歩を満洲に占むれば、次に朝鮮に臨むこと火を賭(ふ)るが如く、朝鮮己に其勢力に服すれば、次に臨まんとする所、問はずして明かなり。
・・・清国の法は未だ嘗て露国兵の鉄道を保護することを認めず、故に露国が自ら兵を以て鉄道を保護する、是れ条約に基きたるにあらず、又法律に依りたるものに非ず。
去れば満洲の撤兵とは満洲各所の兵も鉄道守備隊も一切之を撤去するの意にして、露国は万国環視の裏に此の誓約をなせしものなり。
是を以て、此の不履行より危急存亡の大関係を有する邦国は最後の決心を以て、之を要求するの権利あり。
故に我邦は鋭意此撤兵を要求せざるべからず、縦令露国政治家たるもの甘言を以て我を誘ふことあるも、溝韓交換又は之に類似の姑息退譲策に出でず、根本的に満洲還附の問題を解決し、最後の決心を以て大計画を策せざるべからず。
之を要するに、吾人は故なくして慢りに開戦を主張するものにあらず、又吾人の言議に適中して後世より先覚予言者たるの名称を得るは、却つて国家の為めに嘆ずべしとするものなり。・・・」
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6月10日
・ロシア陸相クロパトキン大将、下関入港。
4月28日ペテルブルク発。5月25日ウラジオストク着。6月8日ウラジオストク発。
日本側接待主任は陸相寺内正毅中将、補佐はロシア駐在経験のある佐世保要塞司令官村田惇少将・参謀本部員田中義一少佐。
11日東京に向う。12日午前9時30分、新橋着。寺内陸相、珍田捨己外務省総務長官、ロシア公使ローゼンが出迎え。滞京4日
。桂首相・小村外相と会談。日本側は、ロシアの満州永久占領に反対と明言。
15日、市ヶ谷の中央幼年学校を視察。28日、長崎より旅順口に向う。30日、旅順口着。
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6月10日
・セルビアでクーデター。ベオグラード、国王アレクサンダル・オブレノビチ(アレクサンダル1世)とドラガ王妃、自由主義将校団により謀殺。
翌日、セルビア議会、亡命中のペータル・カラジョルジェビチを国王指名、ペータル1世として即位(在位~1921年)。
「大セルビア主義」信奉者(バルカンにセルビア人主導国家建設)で反ハプスブルク(親仏・親露的、オブレノビッチ家の親オーストリア的傾向と対極)。
1889年憲法復活。急進党パシッチを重用。2度のバルカン戦争に勝利し第1次大戦迄政情は安定。
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6月11日
・中央線八王子~甲府間、開通。
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6月12日
・田中正造官吏侮辱事件、大審院、有罪。/6/16~7/26.服役。
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6月12日
・大阪の人力車夫、巡航船の市内河川運航に反対して、土佐堀青年開館で集会。
この日、大阪では国内博覧会があり、それを機会に社会主義大会が開催され、片山、幸徳、木下等が参加。
続いて、市内の人力車夫の大会が、営業車夫信用組合創立会という名で開催される。3,500~3,600人が参加。
博覧会の客を対し、市内の河川を利用して小蒸汽や早船による客の輸送を行う企業家に対する車夫たちの抗議の集会。
巡査は彼等を解散させようとするが、車夫たちは戎橋附近で蒸汽船に投石し、その船内に乗り込む。検束者約200人。
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6月13日
・ロシア、鴨緑江木材会社設立。責任者は顧問官のベゾブラーゾフ。
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6月15日
・陸羯南(45)、横浜港から日本郵船の安芸丸で出航、アメリカ~ヨーロッパ外遊に向かう。37年1月帰国。
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6月15日
・(露暦6/2)ロシア、労働災害補償法、公布。
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6月16日
・ドイツ、帝国議会総選挙、社会民主党が第2党に。
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6月16日
・アメリカ、ヘンリー・フォード、フォード・モーター社設立。
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