東京 江戸城 富士見櫓(2011-11-22)
*明治36年(1903)
7月18日
・川上音二郎(39)・貞奴(31)、横浜・喜楽座での一座公演で「ヴェニスの商人」「サッフォー」を上演
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7月20日
・「東亜木材会社」と韓国西北辺界鬱陵島森林監理趙性協間で土地租借契約。
駐韓ロシア公使パウロフは、これを龍岩里租借協約にする企図。
日本(公使林権助)の反対(機会均等の公理違反)で実現せず。
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7月21日
・外相小村寿太郎、駐露公使栗野慎一郎に対露交渉開始訓電。
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7月21日
・足尾銅山に鉱毒除外命令。
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7月21日
・英議会、統一党政府のウィンダム法(アイルランド土地買収法)可決。
アイルランドの地主権益買収し小作農が自らの耕作地を所有。償還期間は68年6ヵ月。
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7月23日
・日本初のオペラ上演。グルック「オルフェオとエウリディーチェ」。柴田環。
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7月26日
・頭山満、近衞篤麿、神鞭知常ら、「対外硬同志会」結成。
8月9日、「対露同志会」と改称。
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7月28日
・小村寿太郎外相、栗野慎一郎駐露公使に、ロシアに日露交渉開始を提議するよう訓令。
「日露戦争開幕ノ合図音」
(「一たび談判を開始せんとせば、戦争は最初に於て決心し置かねばならなかった」桂の述懐)。
31日ロシア外相ラムスドルフに口上書手交。
8月5日ニコライ2世の允可を得たため交渉に応じる旨、回答。
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7月30日
・ロシア社会民主労働党第2回大会開催(~8月23日、ブリュッセル、ロンドン)。党綱領と規約を採択。
規約第1条や「イスクラ」編集部構成をめぐりレーニン・プレハーノフ(後、メンシェヴィキに移る)主導のボルシェヴィキ(「多数派」、急進主義)とマルトフ(後、プレハーノフが加わる)らのメンシェヴィキ(「少数派」、中道主義)に分裂。
トロツキーはメンシェヴィキに与する。
大会期日が迫り、トロツキーらはジュネーブに移る。
大会準備の主問題は規約(特に「イスクラ」とロシア国内の中央委員会との関係)。
レーニンは、国外の「イスクラ」編集部が党を指導するというもの。
トロツキーはシベリア同盟から代議員に推され出席。
ブリュッセルでは大会代議員全員に尾行がつき、警察からの召喚状がでる。
出頭した者は24時間以内の出国申し渡し。トロツキーは出頭せずロンドンに向かう。
大会が進むにつれ、「イスクラ」主要幹部間の対立露呈(「硬派」(レーニン)と「軟派」(マルトフ)との分化)。
「イスクラ」主要メンバで話し合うことになり、トロツキーが議長に選ばれる。
結局、溝は埋まらず大会は分裂。
トロツキーはレーニンと袂を分かつ。古参派アクセリロートとザスーリッチを「イスクラ」編集部から排除するレーニン提案の厳格さをトロツキーは受入れられず。
1904年9月、トロツキー、メンシェヴィキからも離脱。
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8月
・中国、「国民日報」創刊。主編章士釗。編集者陳独秀・蘇曼殊。「蘇報」擁護の論陣。
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・この夏から、横須賀海軍造船廠では異常な労働強化が始まる。
職工たちは家に帰ることを許されず、家庭や下宿から14回の弁当を運ばせ、昼夜兼行の労働をさせられ、深夜に2時間の仮睡をとるだけ。
そういう労働が数日間続いて、職工が倒れると、はじめて家に帰ることを許された。
日清戦争当時のことを知っている老職工たちは、すぐにその意味を悟る。
政府は、民間の主戦論者に攻撃されても容易にロシアに対する態度を明らかにせず、桂内閣の軟弱外交と言って馬られていたが、この夏、軍部と内閣は、いよいよ開戦の決定をした。
労働は強化されたが、職工の収入はそれだけ殖えた。
労働者たちの多くは、大多数の新聞の主戦論に煽られて好戦的になっていたので、一種の熱狂的な空気が造船廠を満たしていた。
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・児玉花外『社会主義詩集』 すぐに発禁、押収される。
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・龍岩里租借事件を契機に、「時事新報」、連日朝鮮問題を取上げ、日本の民族的危機・朝鮮水域への軍艦派遣主張。
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・川上眉山(34)、里見鷲子と結婚。
前年の徴兵問題や村八分を題材にした作品「一軒百姓」が好評で、この年春頃には、眉山は文壇に復活したとの声が上がるほど。
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・トロツキー(24)、「シベリア代議員団の報告」を執筆、レーニンとプレハーノフを厳しく批判。
出版直前、プレハーノフがメンシェヴィキ側についたためプレハーノフ批判の部分を削除して出版。
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8月3日
・小村外相、駐ロシア公使栗野慎一郎にロシア外相ラムズドルフ宛協商案文を訓令。
「韓国に於ける改革及善政の為め助言及援助(但し必要なる軍事上の援助を包含すること)を与うるは日本の専権に属することを露国に於て承認すること」(第五条)をふくむ六ヵ条。
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8月5日
・ロシア、陸相クロパトキン、極東視察の報告と意見書をニコライ2世に提出。
「東亜木材会社」の売却を進言。
但し、この頃、宮廷顧問官ベゾブラゾフ派の巻き返し工作が宮廷・軍に浸透
(日露関係悪化は、日本が英国と同盟し満州からロシアを駆逐しようとするところにある)。
10日、ベゾブラゾフは満州経営促進のため、関東長官を極東総督に昇格させ権限を付与すべきと進言。
ニコライ2世は、陸相・外相・蔵相など穏健派に知らせずにこの進言を勅令公布。
陸相クロパトキンは辞意表明。ニコライは辞意を認めず、「長期休暇」を与える。
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8月7日
・中部ドイツのクリミチャウ、繊維労働者ストライキ(~1904年1月)。
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8月9日
・近衞篤麿・頭山満・佐々友房・神鞭知常ら国家主義者100余の「対外硬同志会」、「対露同志会」と改称。神田・錦旗館で大会。
ロシアの満州撤兵、清国の満州解放要求を決議。桂首相に警告書を送る。
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8月10日
・パリで地下鉄火災。死者84人、負傷者多数。
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8月12日
・ロシア、旅順口に極東総督府、設置。
軍隊指揮・外交も所管。関東長官アレクセーエフ大将が総督就任。
17日、この情報を得た日本は、ロシアの満州永久占領の表意、対日戦の決意表明と見る。
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8月12日
・駐露公使栗野慎一郎、外相ラムズドルフに日本側6項目の日露協商基礎条項(日露商議条件・日露協約案)提示。
露の満州権益を鉄道に限定、韓国からの引揚げ。満州・朝鮮に関する交渉開始。
10日3日ロシア、拒絶。
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8月15日
・熊本での社会主義講演会、解散させられる。
「万朝報」(16日付け)は、15日午後9時19分熊本発として、「今夕片山潜一行当地三年坂耶蘇教会堂にて社会主義講演会を開き会主旨を述ぶるに当り解散せられたり」と報じる。
「連日の電報欄に記せる如く、去月、四国、中国、九州、各地を遊説せる社会主義者片山潜一行は到処其演説を中止され、解散され、或は辻々に貼れる広告紙を警官の為めに剥取られ、或は其筋の内命なりとて、会場の貸与を拒絶され、或は末だ開会に至らざるに、警官の為めに、数百の聴衆を遂帰さるゝに至れり。
読者は之を見て果して如何の感を為すや。
憲法あり、参政権あり、新聞の発行停止は廃せられ、出版も亦多少の自由ある世の中に、独り演説のみ圧制せらる、何ぞ如此く甚だしきや。独り社会主義の演説のみ迫害せらるゝ、何ぞ如此く甚だしきや、真に奇怪千万の現象に非ずや。
上に如此暴虐の政府あり、吾人は多数人民の権利の保持拡張の為めに、却つて益々社会主義唱道の必要を感ぜずんばあらず。・・・」(「万朝報」8月12日)
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