2012年2月21日火曜日

元慶9年/仁和元年(885)~仁和2年(886) 開聞岳噴火 上総、下総、安房で大地(新島向山の噴火)震

東京 北の丸公園(2012-02-17)
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元慶9年/仁和元年(885)
1月
・太政大臣基経の長子時平(16)の元服式。宮中の仁寿殿(じしゆうでん)。
天皇は自ら加冠の役をつとめ、時平に正五位を与え、その告身の文は参議橘広相が草す。
基経が祝いの品々を仁寿殿の東庭に並べたが、供御の器物はすべて金銀ぞろいであった。
管絃が奏せられ、故清和上皇の第八皇子貞数(さだかず)親王をはじめ四位以上の児童10人ばかりが舞いを演じ、公卿以下群臣の宴飲が夜におよぶ。
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5月
・太政大臣基経、「年中行事御障子(ぎようじのみしようじ)」を天皇に献上。
年中恒例の行事を、簡単な標題で列記したもの。
この障子は清涼殿の殿上の間から孫庇(まごひさし)に上る時に通る落板敷(おちいたじき)に設置され、常時参照された。
ここに掲げられた諸行事が、以後の『西宮記(さいきゆうき)』『北山抄』『九条年中行事』『小野宮年中行事』といった儀式書の構成に踏襲されていく。
嵯峨朝に本格化した年中行事の発達・整備は、9世紀末の基経によって固定化され、以後の宮廷社会に引き継がれていった。
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6月
・肥前国に来着した新羅使を帰国させる。
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8月11日
・開聞岳噴火。

10月9日の大宰府の報告。

肥前国
6月より澍雨(じゅう)降らず。
7月11日国司諸神に奉幣し、僧をまねきて経を転ず。
13日夜、陰雲晦合して雨声の如きを聞き、遅明に粉土屑砂ふりて、こもごも境内に下るを見る。水陸田の苗稼、草木の枝葉、みなことごどく焦枯す。・・・
8月11日、震声雷の如く、焼炎はなはださかりに、雨砂、地に満ち、昼にしてなほ夜のごとし。
12日は、辰より子にいたるまで雷電し、砂の降ること止まず、砂石地に積り、あるところは一尺以下、あるところは五六寸以上、田野埋瘞(まいえい)して人民騒動す」といへり。
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9月21日
・仁和に改元
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仁和2年(886)
1月16日
・菅原道真(42)、讃岐守に任ぜられる。
式部少輔・文章博士・加賀権守の三官を辞め、3月末、京を発つ。
4月に着任。
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5月24日
上総、下総、安房で大地震

8月4日の報告。
去る5月24日の夕べ、黒雲有りて南海より群起し、その中に電光現れ、雷鳴地震して通夜止まず。
26日の暁、雷電風雨あり、巳の時天色清朗にして砂石粉土地上に遍満し、山野田園降らざるところなし。
或るところは厚さ二三寸、或るところはわづかに地をおほふ。稼苗草木、皆ことごとく凋枯し、馬牛の粉のつける草を食ひて死斃するもの甚だ多し。
新島向山の噴火
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10月
・美濃国で班田
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