東京 北の丸公園(2012-02-03)
*貞観12年(870)
1月
・貞観永宝(皇朝十二銭の九)を鋳造。
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2月
・大宰府に警備の強化を命じる。
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5月
・菅原道真(26歳)、方略試に合格。
9月、正六位上に叙される。
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9月15日
・前年の豊前国貢綿船略奪事件の新羅人容疑者20人ほどを逮捕し、武蔵・上総・陸奥などに移配・留置。
この新羅人たちの中に瓦造りに長けた者がおり、陸奥国府で用いる瓦を遣らせ、弟子を養成させようとした(『三代実録』貞観12年9月15日条)。
役に立ちそうならば海賊でも国内に置くが、国家にとって特段の利点が見いだせない集団難民が帰化を希望しても、それは出来るだけ阻止しょうというのが、平安初期に政府が選択した方針。
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11月13日
・大宰少弐藤原元利麻呂(げんりまろ)が、新羅国王と通謀して国家(天皇)を害せんとした、という疑いがかけられる)。
大宰府の官人や九州の勢力が、新羅と結託して政府に叛逆しようとしているという情報が、頻々と朝廷に寄せられている。
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12月
・上総国で夷俘が放火・略奪を行った際に、太政官は上総国に対して、「夷俘を折取して中国に散居するは、縦(たと)ひ盗賊ありとも、それをして防禦せしむ」と述べ、夷俘を全国に散居させているのは、盗賊を防御するためであるとの認識を示す(『日本三代実録』)。
一方で、上総国に対して俘囚の教諭を命じた太政官符は、「凡そ群盗の徒、これより起これり」(『日本三代実録』貞観12年12月2日条)、と指摘し、俘囚が群盗の構成員であるという認識を示す。
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貞観13年(871)
2月
・菅原道真(27歳)、少内記に任ぜられる。
天皇の案内文などの証書作成をする。
道真の文才は貴族社会にも知られており、文章の代作依頼が多かった。
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4月8日
・鳥海山(大物忌神社所在地)噴火。
同山よりの河に青黒い泥水溢れ、臭気充満する。死魚河を塞ぐ。
泥流大きいもの二つ、小さいもの多数、海に達する。
泥水により草木生えず。(「三代実録」)
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10月
・『貞観式』20巻が撰進・施行。
『弘仁式』から変更、追加・廃止したものだけが収められ、『弘仁式』と併用され、分量も『弘仁式』の半分。
天長7(830)年に施行された『弘仁式』は、人間や家畜の死のケガレ、出産のケガレ、食肉、弔問・病気見舞いのケガレなどが規定されている。
『貞観式』では、『弘仁式』より項目が増え、女官の妊娠や月事、失火、流産、重要な祭祀の日の僧尼の出仕、そしてケガレの伝染についての記載も加えられ、『延書式』に継承される。
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・足かけ6年の歳月を費やして応天門が再建される。
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