東京 北の丸公園(2012-02-01)
*貞観9年(867)
この年
・太政大臣藤原良房が、その晩年(摂政時代)に強い関心を示したのは、法制と修史であり、この年、『新定内外官交替式(しんていないげのかんこうたいしき)』を撰する。
検非違使の吏務規定である『左右検非違使式」の制定は貞観17年(875)である。
*
1月
・菅原道真(23歳)、文章得業生(もんじょうとくごうしゅう)に選ばれる
2月、正六位下に叙される。
文章得業生
文章生の中から優秀なものを2人選び、方略試(ほうりゃくし、秀才が受ける律令制下の最高の任官試験)を受験できる候補者。
文章得業生は7年以内に方略試(論文2問)を受けなければならない。
慶雲から承平までの約230年間で合格したのは65人。
*
1月20日
・豊後鶴見山頂の青泥池、黒池、赤池が震動し硫黄臭が遍満する。
さらに噴火し、沙泥が数里四方に積もる。
泉が沸騰し、川となって山脚の道路を塞ぎ、川に至って魚数千万が死ぬ。震動三日続く。(「三代実録」)
*
2月
・平仮名が使われた初期の実例。
万葉仮名を崩して平仮名が生まれる。この年2月の讃岐国司解(太政官への報告書)に、讃岐介藤原有年が書き添えたメモで、万葉仮名と平仮名が混用され、万葉仮名から平仮名が生まれてきたようすが示されている。
*
5月19日
・葛原親王の長男の高棟王、大納言正三位按察使で没す(『日本三代実録』貞観9年5月19日条)。
桓武平氏の祖。天長2年(825)に平姓を与えられる。
*
11月
・この月、政府は、伊予国宮崎村(愛媛県今治市)に群居する海賊を討伐するために、瀬戸内海に面する摂津・和泉国と山陽・南海道の諸国に対して、「人兵を差発し、俘囚を招き募る」ことを命じる(『日本三代実録』)。
この海賊追捕令のなかで、政府は海賊の一般的行動形態について、「居所を定めず広大な海原を漂いながら襲撃の機会をうかがい、追捕すればすぐに烏のようにばらばらに逃散し、放置しておけばすぐにカラスのように集まってくる」と述べる。
9世紀の群盗海賊は、船や馬を利用した軽装戦士が夜陰にまざれて急襲し即座に撤収する、あるいは追捕すれば逃れ放置すれば襲ってくる、という機動的・ゲリラ的戦術をとっていた。
訓練によって身につけた戦術ではなく、死にものぐるいの奇襲攻撃である。
*
*
貞観10年(868)
この年
・「貞観交替式」を施行。
*
6月
・円珍を天台座主に任じる。
*
7月8日
・播磨国で地震。
日本三代実録によれば官舎、諸寺堂塔ことごとく頽倒の記述。
前年から引き続き、毎月のように地震があったことも見受けられる。
*
12月
・清和天皇の女御、高子(良房の女、基経の妹)、染殿院において貞明親王を産む。
3ヶ月後には皇太子に立てられる。
*
*
0 件のコメント:
コメントを投稿