大江健三郎「定義集」、
「朝日新聞」連載の2月15日は、
【いま小説家のなしうること】 次代の存続へ決意表明
である。
大江さんは、チェコの作家ミラン・クンデラの小説『カーテン』での、この作家の小説家同士の呼び掛けを確認して、以下、こう続ける。
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(以下引用)
それもクンデラは、プロベールの書簡集をしばしば読み返すことをいいながら、いかに魅力的でも作品ではない、と断じます。
作品とは
小説家が
《ある美的な計画に基づく長い仕事の成果なのだ。
/私はさらに一歩進めてこう言おう。
作品とは小説家がみずからの人生の総決算のときに認めることになるものなのだと。
(中略)
どの小説家もまず隗(かい)より始めて、二義的なもののすべてを排除し、自分のために、そして他の者たちのために、本質的なもののモラルを説くべきだろう》
私はいま日本人の本質的なモラルとは、次の世代を生き延びさせるべくつとめることで、すべての原発を廃止する決意を示すのがその始まりだと考えます。 (作家)
(引用終り)
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まず隗(かい)より始めて、
二義的なもののすべてを排除し、
自分のために、
そして他の者たちのために、
本質的なもののモラルを説く
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これは唸る。
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日本人の本質的なモラルとは、次の世代を生き延びさせるべくつとめることで、
すべての原発を廃止する決意を示すのがその始まりだ
*
これも唸る。
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大江さんは2月11日の集会の挨拶でもこう言ったそうだ。
(ブログ「みんな楽しくHappyがいい」さんより コチラ)
(引用初め)
しかし、たとえば私の孫の世代に、遺産、幼稚園児の女の子にですね、
この大きい廃棄物をそのまま残さなければならない。
それを処理する方法は70年後には、まだ発見されていないだろうというのが良心的な科学者たちの考えです。
これは人類が、いくつも動物はありますけれど、
私ども人間が決してやってはならないこと
そしてこれまで、この数万年の間に私達がやらなかった事であります。
これだけの人類が全て滅びるような最悪な種をそのまま置いていくという事は
私達が今初めて、やっているんです。
それは、人間がやらなかった、これまでやらなかった最悪の事、最も悪い事じゃないでしょうか。
それは、つまり、人間として、人間としての倫理、モラルの根本に反するものだと。
私たちは考えなければならないと思います。
(略)
これは倫理なんだと、日本人が原発を全廃するのは倫理なのであって、
つまり人間のいかなる他の価値
経済的価値とか政治的価値とか国力の何とかとかいかなる価値を超えて
根本的に一番大事な倫理なのであります。
(略)
(引用終り)
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核廃棄物の処理方法?
それは、「お金」で解決する、こと
というのが、原子力「学者」や事業者や業者や政治家の「倫理」であった。
(これらの「ムラ」もまたお金を「絆」とする社会であった。)
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ゆえに、大江さんは、敢えていま「モラル」「倫理」「モラリティー」というものを(原子力ムラのモラル・ハザードに)対置しているのだ。
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