2012年4月16日月曜日

昌泰4年/延喜元年(901)7月~8月 延喜に改元 延喜年間(醍醐の治世、901~923)は律令制の最後の時代

東京 北の丸公園 2012-04-12 アカミオオシマ(赤実大島)
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昌泰4年/延喜元年(901)
7月15日
延喜に改元
前年、文章博士三善清行は朝廷に書を提出。
讖緯説により、辛酉は革命、甲子は革令、帝王の交代の機をはらむ年まわりであると論じ、今年は辛酉にあたるから、昌運をひらくために改元すべきであるとした。
時平らは、道真事件後の騒然たる状況を考慮して清行の建議を採用した。
讖緯説による改元の初例で以後慣習化した。

延喜年間(醍醐天皇の治世、901~923):
最後の班田が行なわれ、荘園整理令が出され、律令制維持の最後の試みがなされた時期
また、『延喜格(えんぎきやく)』『延喜式』(施行は康保四年967)の編纂など、いわゆる三代の格式の最後の格と式が作られた。
8世紀以来の律令制、あるいは律令格式による国家体制の最後の時代
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8月2日
・時平ら『日本三代実録』を撰進(六国史の最後)。
『日本三代実録』編述は、右大臣源能有の没、ついで宇多の退位などのために一時停頓していたが、時平らが醍醐天皇の勅命をうけてふたたびそれを軌道にのせた。
宇多・醍醐父子2代の継続事業であって、菅原道真と大蔵善行という当代きっての儒林の碩学の力量に負うところが多い。
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