赤川さんは、以前に「朝日」夕刊に週1回のコラムをお持ちで、その中の一つで、
当時の菅首相引きずりおろしの策動とフィンランドの放射性廃棄物の地下処分場
のことについて書かれたこともあった(コチラ)。
4月12日付け「声」に
「橋下氏、価値観押しつけるな」
作家 赤川 次郎 (東京都港区 64)
とある。
以下全文転載させて戴く。
(転載)
大阪の橋下徹市長は大阪府立和泉高校の管理職をなぜ処分しないのだろう?
教師の口元チェックをしながら、姿勢正しく心をこめて「君が代」を歌えたはずがないのだから。
それにしても生徒のためのものであるはずの卒業式で、管理職が教師の口元を監視する。
何と醜悪な光景だろう!
橋下氏は独裁も必要と言っているそうだが、なるほど「密告の奨励」は独裁政治につきものである。
府知事時代、橋下氏は初めて文楽を見て、こんなもの二度と見ないと言い放ち、補助金を削減した。
曰く「落語は補助金なしでやっている」。
舞台に座布団一枚あればいい落語と、装置を組み、大勢の熟練の技を必要とする文楽を一緒くたにする非常識。
客の数だけを比べるのはベートーヴェンとAKBを同列にするのと同じだ。
文楽は大阪が世界に誇る日本の文化である。
理解力不足を棚に上げ、自分の価値観を押し付けるのは、「力強い指導力」などとは全く別物である。
過去に学ぶ謙虚さを持ち合わせない人間に未来を託するのは、地図もガイドもなく初めての山に登るのと同じ。
一つ違うのは、遭難するとき、他のすべての人々を道連れにするということである。
(転載終り)
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価値判断(君が代斉唱の重要性、思想の自由など)を全く抜きにして、
ただルールだからという理由で、斉唱に参加しない教員を処分するなら、
岡っ引きか密偵か、口元チェックをしていた教頭も斉唱には参加していないのだから、処分せよ、
というのである。
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4月10日付けの「朝日新聞」によると、当の中原校長は、報道に異議があるという。
(転載)
(略)
口元監視は5秒間
府は条例で「教職員は起立により斉唱を行うものとする」と定めた。
「斉唱を確認しないのはおかしい」と考えた中原校長は、教頭に教職員の口元の動きを見るよう指示した。
今までの報道には異議がある。
「口元をじっと監視していたわけじゃない。
教職員から10㍍以上離れ、5秒間ほど、教頭が見渡して確認しただけですよ」
逆にそれでは「斉唱」の確認になっていないのでは?
声を出さないロパクの「エア君が代」だったり、替え歌を歌っていたら?
「何デシベルまでの声なら良しとするのか。
ドラえもんの歌詞なんか歌っていないか。
口元にマイクをつけたり、カメラで撮影したり、府の職員を全校に総動員してチェックしたりする方法もあろうが、府民は、そこまでは求めていないんだろうと思う。
(現在のチェック方法は)バランス感覚」(中原校長)
9日の入学式でも、同じ方式でチェックした。
(転載終り)
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まあ、それでも、この岡っ引きは斉唱には加わっていない。
ルール一本で通すなら、赤川さんの言うとおり、この岡っ引きも処分対象だ。
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先に、
偽装転向も許さぬ君が代斉唱監視に「空耳」版君が代を 「キー(ス)・ミー・ガー(ル)・ヨー・ワー(ン)」(コチラ)
を提唱したが、この手も対策にはならないのか。
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同じ4月10日「朝日」では、『神聖喜劇』の作家大西巨人氏(92歳)が、
軍隊でも君が代の斉唱規定はなかったと思う、と。
(転載)
(略)
大西さんは
「兵が声をそろえて歌っていたのは、23連隊の営門で/ハンカチくわえて目に涙、といった(ストトン節など)厭戦的でもあるような歌だった。
君が代の時は、斉唱のマネさえしていれば遊ばれる(息を抜ける)と、私などは思っていた。
斉唱について細かな軍規定も、なかったように記憶する」
と話した。
斉唱チェックの記事を読み
「昔の軍隊でも、軍隊の論理と地方(軍隊外の社会)の論理とは別であり得たのだが」
と半ばあきれた。
「私の生きているうちにこういうことがあるとは……。異(い)なものであるとしか言いようがない」
(略)。
(近藤康太郎)
(転載終り)
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少し前になるが、
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少し前になるが、
4月4日の「朝日新聞」にも関連記事。
元最高裁判事で弁護士の滝井繁男氏(75歳)
(転載)
子どもはどう感じるだろう 元最高裁判事語る
最高裁判事を務めた滝井繁男弁護士(75)に、口元チェックと憲法が保障する思想・良心の白由のかかわりについて語ってもらった。
◇
どんな意見や考えを持ってもいいという思想・良心の自由は最も重要な権利の一つだ。
私は最高裁判所で4年半務めたが、私も他の裁判官もその大切さは十分踏まえていたし、過去の判例も度々言及している。
だが最高裁の判決で、公権力がこの自由を侵したと認めたケースはない。
どんな自由にも無制限のものはなく、社会全体への利益とのバランスで判断しないといけないからだ。
公権力が「君が代に批判的な意見や考え方を一切持ってはいけない」と強制したら、それは思想・良心の自由の侵害。
だが橋下さんはそんな極端なことは言っていない。
学校の先生も公務員であり、議会が定めたルールに従うべきだと言っているだけだ。
それなりに筋が通っている。
だからこそ君が代に批判的な現場の先生も葛藤しているのだと思う。
個人の自由を守る利益と、ルールに不満を持つ公務員の行動のもたらす不利益。
どちらを重くとらえるかは法律家の考え方も様々だろう。
個人的な考えをいうと、口元チェックは他者への尊敬の気持ちを欠き、思い上がりとさえ見える。
この間題はルール違反をあぶり出すのではなく、広い視野で柔軟に対処すべきではないか。
先生をルールに従わせるのは、究極は子どもたちのためだろう。
息苦しい相互監視の仕組みを見た子どもたちが何と感じるだろうか。
(転載終り)
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権力が「君が代に批判的な意見や考え方を一切持ってはいけない」と強制したら、それは思想・良心の自由の侵害。
だが橋下さんはそんな極端なことは言っていない。
学校の先生も公務員であり、議会が定めたルールに従うべきだと言っているだけだ。
それなりに筋が通っている。
とあるが、
橋本氏は弁護士で問題の所在をよく知っているので、
敢えて、「君が代に批判的な意見や考え方を一切持ってはいけない」
と言わないだけなのではないか。
多分、
憲法が現行のままあったとしても、
大衆が、「君が代に批判的な意見や考え方を一切持ってはいけない」を受け入れる状況になれば、
堂々とこれを主張すると思う。
彼の、光市の事件の弁護団に対する発言を忘れてはいけない。
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