2011年10月10日月曜日

明治36年(1903)5月 一高生藤村操(18歳)の死  海軍拡張案(六六艦隊)可決

明治36年(1903)
5月
・ロシア軍、鴨緑江を越えて韓国領内の龍嚴浦に至り軍事根拠地の建設開始。韓国支配を狙う。
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・章士釗、「蘇報」編集に加わる。
章士釗:
南京陸師学堂でストをおこし、学生30~40人率いて退学。愛国学社に参加。後、黄興らと革興会を組織。第2革命時は討袁の檄文を起草。
1920代中頃、段祺瑞政府の司法総長兼教育総長。北京女子師範大学の学生運動との関連で魯迅を罷免。
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・若山牧水(18)、校友会雑誌部部長となる。
新任の英語教師柳田友磨は牧水の詩才を認め文学に専念することを勧める。この秋頃から牧水の号を使い始める。
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・この春、与謝野晶子(26)、帰郷。
『みだれ髪』の歌人という名誉と初孫とを携えて。母は、晶子の帰郷を心待ちにしていた。
鉄幹は、高村光太郎と松永周二を連れて京都を経て高野山に遊び、帰省中の晶子をつれて帰京。
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・広島市、大井憲太郎らの指導で小作共済会結成。
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・日本と清国の郵便条約。
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・ベルギーのサー・ロジャーケイスメント、コンゴ自由国での残虐行為を報告(コンゴ・スキャンダル)。      
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5月1日
・幸徳秋水「非開戦論」(「万朝報」)
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5月1日
斉藤緑雨、本郷千駄木町230番地、団子坂近くに引っ越す。前年12月に小田原から浅草に転居していた。
緑雨はこの年5月、随筆類をまとめた「みだれ箱」を博文館から出版。
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5月6日
・韓国龍岩里にロシア兵が進出し工事をしているとの日野大尉電が着く。
「露国六十、韓国八十、清国四十人、韓国龍岩里ニ工事ヲ始ムルヲ見ル。
右ハ、露人ノ声言セル鴨緑江口ニ兵站部ヲ設ケ、朝鮮内地ニ人ルノ基礎ヲ作り、及日本ノ妨害ヲ予防スル云々ヲ硬メタルナリ」  
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5月8日
・第18特別議会召集。12日開会、6月4日閉会。
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5月8日
・永井荷風「夢の女」(新声社)
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5月8日
ゴーギャン(55)、マルケサス諸島ヒヴァ・オアで没。心臓発作
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5月9日
・アメリカ、ヘイ国務長官、高平小五郎駐米公使に対露交渉に関して日英米連合運動の必要を認めずと言明。  
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5月10日
・参謀本部各部長(主務者第1部長松川敏胤大佐)、軍備整頓の意見書を総長大山元帥へ提出。
12日、大山元帥、上奏。
後、写しを首相桂太郎大将・陸相寺内正毅中将・軍令部長伊東祐亨大将に送る。
参謀本部では、これまでにも総務部長井口省吾少将、第一部長松川敏胤大佐、第二部長福島安正少将らが、次長田村怡与造少将に戦備促進の意見を具申。

海軍も「事態ノ急迫」を感得し、5月9日、軍令部参謀小田喜代蔵中佐が参謀本部総務部長井口少将を訪ねる。
井口少将は、参謀本部の意見は未確定だが「余一個ノ意見」として、「露国ノ横暴ハ、口舌ヲ以テシテ之ヲ抑止スべキニアラズ。帝国タルモノ断然タル決心ヲ採ルハ巳ムヲ得ザル所ニシテ、又最モ時宜ニ適スルモノナリ」と延べ、小田中佐も、海軍側の観察として「我ガ帝国ノ決心一日遅ルルハ一日ノ不利ナリ」と述べる。

参謀総長大山巌元帥の上奏
「……今後ニ於ケル露国ノ行動ハ、其慣用手段タル脅喝ヲ以テ帝国ヲ威喝シ其態度ノ硬軟ヲ見テ多少ノ利ヲ占メソトスルカ、若クハ飽ク迄モ兵力ニ訴へ勝敗ヲ決セントスルカニアルベク、目下ノ戦略関係ハ我ニ有利ナルモ、年月ヲ累ヌルニ従ヒ彼是其情勢ヲ転ズルニ至ルベク、且韓国ニシテ彼ノ勢力下ニ置カルルニ至ラバ、帝国ノ国防亦安全ナラザルベシ。
宜シク速ニ帝国軍備ノ充実整頓ヲ図ルベシ」

この日は、第18特別議会開会日。意見書は、前議会から難航している軍備拡充予算通過に対する、政府の一層の奮発を促す狙いもある。
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5月11日
・留日学生黄興ら、軍国民教育会設立。
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5月11日
・全国慈善大会、大阪で開催。日本慈善同盟会(のち中央慈善協会を経て中央社会事業協会)の設立可決。
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5月12日
・草野心平、誕生。
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5月13日
・ロシア兵、義州付近に侵入。
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5月14日
長崎三菱造船所鉄工部900名賃上要求スト。~19日。
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5月15日
・イギリス、ランズダウン外相、ロシアの鉄道敷設計画に警告し、ペルシア湾の英権益擁護を声明。
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5月15日
・イギリス、関税改革運動開始。
ジョゼフ・チェンバレン植民相、保護関税を提唱。反対論多数。
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5月16日
・駐清公使内田康哉が派遣した「東文学社」教習横川省三・義州の材木商宮崎某、ロシアが進出した龍岩里部落入り。怪しまれ退去し、別に清国人張発を派遣。
全てが参謀マトリトフ中佐が管轄し、「東亜木材会社」も政府事業と見る。
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5月19日
・衆議院委員会、地租増徴案否決
20日、桂首相、政友会総務と正式の妥協交渉開始。21日から3日間停会。
24日政友会議員総会で妥協案承認。
尾崎行雄・片岡健吉・林有造らは反発して脱党。(政友会からの除名・脱党者、政友倶楽部結成。)
25日 政府、地租増徴継続案撤回。
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5月21日
・清国の皇族貝子載振、参内謁見。
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5月21日
・イギリス、帝国関税組合設立を求めるジョゼフ・チェンバレンのキャンペーンにより関税同盟が創設。大英帝国内の特恵貿易を促進。
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5月21日
・大審院、盗電有罪判決。電気は有体物ではないが、可動性・管理可能性を有するため窃盗罪の対象となりうるとする。
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5月22日
・千島海域を測量中の軍艦「操江」、根室沖で沈没、乗員全員が死亡。
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5月22日
第一高等学校生徒の藤村操(18)、「巌頭之感」を残し、日光華厳の滝に投身自殺。以降4年間で、この滝の投身者185名(助かった者を含む)。

「悠々たる哉天壌、遼々たる哉古今、五尺の小軀を以て此大をはからむとす。
ホレーンョの哲学竟に何等のオーソリチーを価するものぞ。
万有の真相は唯だ一言にして悉す、日く「不可解」。
我この恨を懐きて煩悶終に死を決するに至る。」(「巌頭之感」)  

「約四ヶ年の今日までに、未遂、既遂を合はせて其無分別を真似たる者百八十五名と云ふ多数に及びたる由にて、其内に可惜生命を滝壷の泡にして了つた者四十余名有」(「時事新報」明治40年8月25日)

この月中旬、夏日漱石は一高の授業で学生藤村操に訳読をあてると、藤村は昂然として「やって来ません」と答える。
夏目がは「なぜやつて来ないのか?」と訊くと、藤村は「やりたくないからやって来ないんです」と答える。夏目は怒ったが、気持を鎮めて「此の次にはやって来い」と言う。
何日か後、また夏目が藤村にあてると、その時も藤村は下読みをして来なかった。
夏目は「勉強をする気がないなら、もうこの教室に出なくてもよい」と言って叱る。
その後、5月21日から藤村は行方不明となる。

26日朝、藤村操のいたクラスの第一時間目が夏目漱石の英語の時間。
夏目は教壇へ上るなり、最前列の席の生徒に向って、心配そうな小さな声で、
「君、藤村はどうして死んだのだい?」と訊く。
「先生、心配ありません、大丈夫です」とその生徒が答える。
「心配ないことがあるものか。死んだんぢやないか」と夏目は言う。
夏目は数日前に教室で叱ったことが藤村の死の原因になっているような気がした。

この年9月から始める「文学論」の講義で、漱石は、藤村の死をエトナ山に投身自殺したギリシャの哲学者エムペドクレスと較べて語る。

27日「万朝報」には、社長兼主筆黒岩涙香(周六)が「天人論の著者」という筆名で、改めて藤村操の「巌頭之感」を全文引用し、「少年哲学者を弔す」という文章を掲載。
「我国に哲学者無し、この少年に於て初めて哲学者を見る。否、哲学者無きに非ず、哲学の為に抵死する者無きなり。
独のシヨツペンハウエル、悲観の極に楽観ありと為す。而も自死するに抵らず。然らば哲学の極致は自死に在るか。日く、何ぞ然らん、唯だ信仰の伴はざる哲学は、茲に窮極するなり。」(「万朝報」明治36年5月27日)」

藤村と同級であった安倍能成による、この時期の青年たちの心理。
「三十四五年頃から日露戦役の頃までの間は、人生問題が青年の関心事になり、所謂青年の煩悶と青年の自殺との問題が頻に教育者の頭を悩ますに至った。
その内生活に於て国家的公共的生活と離れんとし、その潔癖と感情とによつて世俗的事功と好尚とを卑まんとした彼等青年にとつての人生問題は、結局自己の問題に帰した。」(「明治思想界の潮流 - 文芸評論を中心として」昭和7年10月)  
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5月23日
・サトウ・ハチロー、誕生。
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5月23日
・パリ~マドリード間の自動車レース(参加車250台)、死亡事故続発のため中止。
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5月23日
・アメリカ、ウィスコンシン州、初の予備選挙制採用。
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5月24日
・政府・政友会妥協。
政友会議員総会で、地租増徴案に関する妥協案承認。尾崎行雄らは反発して脱党。25日政府、地租増徴継続案撤回。    
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5月24日
・日本初のゴルフクラブ、神戸ゴルフ倶楽部が開場  
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5月25日
・横川省三、安東に渡りロシアの馬賊工作を知る。
龍岩里を統括する参謀マトリトフ中佐は、馬賊頭目林七・李大本を利用。
彼らの雇った馬賊が乱暴狼藉を働いたため、清国討伐隊が制裁、処刑。
マトリトフは討伐隊指揮官を連行するが、清国市民との間で一触即発の状況となり釈放。
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5月27日
・鄒容、『革命軍』発表(「蘇報」)。
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5月27日
・衆議院、憲政本党の内閣弾劾上奏案を、228対123で否決。  
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5月27日
・ペルシア、英との新関税協定締結。
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5月28日
・駐韓公使林権助の小村寿太郎宛意見具申電報。
韓国王室は事大的で、このままではロシアに屈服する。ロシアを森林事業だけに制限させるため、ロシアの満州での「僭越ヲ抑止」するため、態度を強固にすべき。
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5月28日
・イスタンブールで地震。死亡2千人。
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5月29日
外務省政務局長山座円次郎・陸海軍省の中堅幹部、料亭「湖月」集合。
対露強硬意見、決議(「戦争ヲ賭シテ露国ノ横暴ヲ抑制スル・・・」)。
他に、外務省官房電信課長石井菊次郎、大臣秘書官本田熊太郎ら。
陸軍は参謀本部総務部長井口省吾少将、同第1部長松川敏胤大佐、同参謀田中義一少佐、陸軍大学校福田雅太郎少佐ら。
海軍は軍令部第1局長富岡定恭大佐、「和泉」艦長八代六郎大佐、海軍大学校教官秋山真之少佐ら。

決議
「帝国ハ今時ヲ以テ一大決心ヲ為シ、戦争ヲ賭シテ露国ノ横暴ヲ抑制スルニ非レバ、帝国ノ前途憂慮スベキモノアリ。而シテ、今日ノ機会ヲ失シテハ、将来決シテ国運回復ノ機ニ会セザルベシ」
但し書
「但シ、此ノ決議ハ唯各自一身ノ覚悟ヲ決スル為ノ研究ニ止ラシメ、政治運動ヲナスベキ為ニ非ズ」
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5月29日
・衆議院、高田早苗提出の「教科書疑獄につき大臣が責任を負うべし」との決議案を可決。
結果、菊池大麓文相、辞職。 
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5月30日
・衆議院、海軍拡張案可決(六六艦隊)。政友会から脱党者続出。
6月2日、貴族院も可決。
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5月31日
啄木(17)、石川白蘋の筆名で評論「ワグネルの思想」(『岩手日報』、~6月10日、7回連載)発表、反響なし。
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