2011年10月16日日曜日

「強者の論理を疑い、矛盾を突く洞察力が求められている。熱狂的に等質化しやすい群集心理を克服し、弱い者の利害をまず考えたい。」(内橋克人)

「朝日新聞」で「ポスト3.11のわたしたち」という連載があり、その10月15日分で経済評論家の内橋克人さんが、「「浪費なき成長」へ転換を」という意見を掲載している。
すごく考えさせられる内容なので、例によって無断であるが、全文を掲載させて戴く。
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ポスト3.11のわたしたち
「浪費なき成長」へ転換を
経済評論家内橋克人さん

震災は、日本がどんな社会であったかを一瞬にしてさらけ出しました。
民主的な先進社会と思い込んでいたのが、実際は強い者が描く価値観一色に染まりやすい遅れた国だったのではないですか。

例えば「オール電化」。
前提には原発が作る余剰電力があり、余った電力を消費させたい作る側の発想に、やすやすと乗せられた。
カを持つ者の論理に隷従し、自らは判断しない風潮は戦前と同じです。

巨大災害のショックで正常な判断力を失ったまま、人々が強いリーダーを渇望するのも危険です。
公的支援が必要な時に政府機能が働かない現状には失望しますが、いるはずもない”だれか”の登場を望む心の隙は21世紀型ファシズムの温床になる。

これまでは膨張する供給力に見合う需要を作り出そうと、絶えず消費を促す過剰消費社会でした。
そのエネルギーを供給したのが、「トイレなきマンション」にたとえられる原発です。
豊かに見えた日常も、無理な虚構の上に成り立っていました。

東北3県の失業者7万人(厚生労働省9月発表)という現実を、ひとごとと思うのは大錯覚です。
虚構の破綻という衝撃の大きさを、正確に受け止めた人がどれだけいるのか。

日本社会は存亡の危機に直面しています。
こまごました日常の改善だけで社会の立て直しは可能ですか。
今こそ「浪費なき成長」への大転換が必要です。

一人びとりが、自分で考える自覚的な市民に変わらなければならない。
強者の論理を疑い、矛盾を突く洞察力が求められている。
熱狂的に等質化しやすい群集心理を克服し、弱い者の利害をまず考えたい

人間は生き、働き、暮らす存在です。
一体だった三つを、市場原理主義はバラバラに分断した。

モノが安いのは結構だが、なぜ安いのか厳しく問う消費者が社会を変えていくでしょう。

震災以降、人々は「生存の安全保障」がたやすく脅かされると実感した。
食や農業、エネルギー、介護の自給という問題提起に鋭い反応を示すようになりまた。
見通しは厳しいですが、私はここに社会転換への希望を見ています。
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増税
年金改悪
原発再開
TPP

今一番大事なことは、これらの一つ一つに対して「ちょっと待てよ」と考えること。
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