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①纐纈(はなぶさ)あや監督の映画「祝(ほうり)の島」(2010年)
「80歳近いおじいさんが、ひとりで水田を耕している。
その水田は、おじいさんのおじいさんが、子孫たちが食べるものに困らぬよう、狭く、急な斜面ばかりの島で30年もかけて石を積み上げて作った棚田だ。
子どもたちは都会へ出てゆき、ひとり残されたおじいさんが、それでも米を作るのは、子どもや孫に食べさせるためだ。
息が止まるほど美しい空や海に囲まれた水田の傍らでおじいさんが話している。
次の代で田んぼはなくなるだろう。耕す者などいなくなるから。
「田んぼも、もとの原野へ還(かえ)っていく」といって、おじいさんは微笑(ほほえ)む。
そして、曲がった腰を伸ばし、立ち上がる。
新しい苗代を作るために。
山口県上関町の原発建設に30年近く反対し続けている祝島(いわいしま)の人たちを描いた映画「祝(ほうり)の島」の一シーンだ。
人口500人ほどの小さな島には、ほとんど老人しか残っていない。
その多くは一人暮らしの孤老だ。
彼らは、なぜ「戦う」のか。
彼らが何百年も受け継いできた「善きもの」を、後の世代に残すために、だ。
では、その「善きもの」とはなんだろうか。
汚染されない海、美しい自然だろうか。
そうかもしれない。
だが、その「善きもの」を受け取るべき若者たちが、もう島には戻って来ないことを、彼らは知っているのである。」
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②中島眞一郎「いかたの闘いと反原発ニューウェーブの論理」(「現代思想」10月号)
「四国電力伊方原発の出力調整実験への反対闘争について記した」
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③成元哲「巻原発住民投票運動の予言」(「現代思想」10月号)
「新潟県巻町(当時)の原発建設の是非をめぐる住民投票について記した」
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④姜誠「マイノリティと反原発」(「すばる」11月号、連載中)
「祝島について報告した」
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①~④
「都会から遠く離れた場所での、孤独な「戦い」を記述した彼らの報告を読みながら、ぼくの脳裏には、映画で見た祝島の風景が蘇(よみがえ)った。
受け取る者などいなくても、彼らは贈り続ける。
「戦い」を通じて立ち現れる、大地に根を下ろしたその姿こそが、ひとりで「原野へ還っていく」老人たちから、都会へ去っていった子どもたちへの最後の贈りものであることに、ぼくたちは気づくのである。
おそらく、世界中に「祝島」はあって、そこから、「若者」たちは「外」へ出てゆくのだ。
では、「外」へ出ていった「若者」たちは、どうなったのか。」
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⑤「立ち上がった『沈黙の世代』の若者」
(津山恵子のアメリカ最新事情、ウォールストリート・ジャーナル日本版)
http://jp.wsj.com/US/node_315373
「「こんなデモは今までに見たことがない」
9月18日夜、米ウォール街から北に200メートルばかり離れた広場に出向いた津山恵子は、まずこんな風に書いた。
「参加者のほとんどは、幼な顔の10代後半から20代前半。
団塊の世代や、1960~70年代の反戦運動を経験した世代など、『戦争反対』『自治体予算削減反対』『人種差別反対』などのデモで毎度おなじみの顔は全くない。
いや、彼らは今までデモに参加したことすらないのだ」
世界を震撼(しんかん)させることになる「Occupy Wall Street」デモが始まった翌日の光景だ。
いったい、彼らは、なんのためにどこから現れたのか。」
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⑥「若者の『オープンソース』革命は世界を変えるか」
(肥田美佐子のNYリポート、ウォールストリート・ジャーナル日本版)
http://jp.wsj.com/US/Economy/node_320632/?tid=wallstreet
「肥田美佐子は、豊かな社会の中で劇的に広がる「格差」が、彼らを、まったく新しいやり方で、街頭に繰り出させたと報告し、」
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⑦瀧口範子「全米に広がる格差是正デモの驚くべき組織力
ウォール街占拠を訴える人々をつなぐもの」
(ダイヤモンド・オンライン)
http://diamond.jp/articles/-/14428
「さらに、瀧口範子はリポートにこう書いている。
「自然発生的に広がっていったOccupy Wall Streetは、まるで新しい共和国のような様相を呈している。
最初は失業者やホームレスたちの集まりと見られていたが、そのうち若者や学生も加わり、整然と組織化されていった。
組織といっても、弱肉強食のウォール街の流儀とは正反対のもの。
話し合いを通じて、合意形成を図り、それを実践していくというものだ」 」
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⑧「ナオミ・クライン ウォール街を占拠せよ 世界で最も重要なこと」
(「aliquis ex vobis」掲載の邦訳)
http://beneverba.exblog.jp/15811070/
「10月6日。
『ショック・ドクトリン』の著者で、反グローバリズムの代表的論客、ナオミ・クラインは、彼らが占拠する広場で演説した。
そこで、彼女は、一つの「場所」に腰を下ろした、この運動の本質を簡潔に定義している。
「あなたたちが居続けるその間だけ、あなたたちは根をのばすことができるのです……あまりにも多くの運動が美しい花々のように咲き、すぐに死に絶えていくのが情報化時代の現実です。
なぜなら、それらは土地に根をはっていないからです」
かけ離れた外見にかかわらず、「祝の島」のおじいさんとニューヨークの街頭の若者に共通するものがある。
「一つの場所に根を張ること」だ。
そして、そんな空間にだけ、なにかの目的のためではなく、それに参加すること自体が一つの目的でもあるような運動が生まれるのである。 」
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⑨上野千鶴子「ケアの社会学」
「上野千鶴子は大著『ケアの社会学』で、ケアの対象となる様々な「弱者」たちの運命こそ、来るべき社会が抱える最大の問題であるとし、「共助」の思想の必要性を訴えた。
「市場は全域的ではなく、家族は万全ではなく、国家には限界がある」
背負いきれなくなった市場や家族や国家から、高齢者や障害者を筆頭とした「弱者」たちは、ひとりで放り出される。
彼らが人間として生きていける社会は、個人を基礎としたまったく新しい共同性の領域だろう、と上野はいう。
それは可能なのか。
「希望を持ってよい」と上野はいう。
震災の中で、人びとは支え合い、分かちあったではないか。
その共同性への萌芽(ほうが)を、ぼくは、「祝の島」とニューヨークの路上に感じた。
ひとごとではない。
やがて、ぼくたちもみな老いて「弱者」になるのだから。」
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「編集部が選ぶ注目の論考」では、
高橋と同じく、成元哲「巻原発住民投票運動の予言」(「現代思想」10月号)をあげ、
「原発を拒否した住民運動がなぜ成功したかを考察。カギは保守派住民の動向にあったとし、彼らの参入が地域社会の再編成を促す原動力になったと論ずる。」
と纏めている。
それからもう一つ、気になるのは・・・、
「オバマ米大統領が野田首相に対し普天間移設問題で「具体的な結果を出す」ように迫ったとされた報道について、首相の説明と食い違いがあると指摘した伊田浩之「キャンベル氏がマスコミ誘導か」(週間金曜日9月30日号)は、検証報道が不十分と批判する。」
のところ。
マスコミ報道をそのまま受け入れる危険性についてだ。
TPPに関してなんて、よーく吟味しないと危ないこと極まりない。
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高橋源一郎「論壇時評」
6月30日「原発と社会構造」
8月26日「柔らかさの秘密 伝えたいことありますか」
9月29日「そのままでいいのかい? 原発の指さし男」
11月24日分はコチラ
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2012年4月26日分
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