2025年4月20日日曜日

大杉栄とその時代年表(471) 1903(明治36)年12月21日~31日 アルゼンチン巡洋艦2隻の売買契約成立(30日)。ロンドン。「日進」「春日」。駐フランス海軍武官竹内平太郎大佐、駐ドイツ海軍武官鈴木貫太郎中佐に、「日進」「春日」の回航責任者としてイタリアに急行すべき旨が、指示される。


巡洋艦「日進」(上)と「春日」(下)

大杉栄とその時代年表(470) 1903(明治36)年12月17日~20日 臨時閣議(18日)、戦争決意。桂・小村上奏。 桂「陛下、今此ノ事ニ允裁ヲ賜フ。而シテ異日恐ラクハ国家非常ノ難局ニ立タン。陛下予メ其ノ決心ヲ腸へ」と、戦争決意の要請を進言。 天皇は無言でうなずく。 より続く

12月21日

小村寿太郎外相、ロシア公使ローゼンにロシア側第二次修正案の再考を要求。

ロシア側対案にあるの「韓国領土ノ一部タリトモ軍略上ノ目的ニ使用セザルコト」という項目と、北緯39度以北を中立地帯にする条項の削除を求めた。

12月21日

桂首相、寺内陸相・山本海相に出兵準備通告

12月21日

林有造・小田貫一ら25名、新たに自由党結成。

12月21日

(漱石)

「十二月二十一日(月)、東京帝国大学文科大学は、全部の授業を終了し、試験に入る。但し、試験はラテン語とフランス語だけである。」(荒正人、前掲書)

「漱石は十二月二十一日、大学のその年の授業を無事におえ、虚子と能を見にいく。出がけに鏡子に「羽子板を買っておけ」といいつけたのは娘三人いる父親であったからだろうか。しかしその語調は妙にするどかった。」(森まゆみ『千駄木の漱石』)

12月22日

山本海相、ひそかに天皇に拝謁して、常備艦隊の連合艦隊への改編(戦時編制)の裁可得る。

12月22日

フィリピン、タフト委員会、ヴァチカンとの間で修道会所領購入協定を締結。修道会所領法制定。

12月23日

『東京日日新聞』もついに、12月23日「日本国民の覚悟」において、「財政経済の見よりいへば戦争の利あらざるは勿論なり故に邦人の思慮あるもの固より好みて戦争すべしといふものはあらず然れども政府の外交復た施すに由なきに至る時は日本国民は敢て利害得喪の為に財政経済の為に其の覚悟を動かすものに非ざるなり」と、戦争やむなしという論調に変化していく。

12月24日

清国、練兵処章程制定。北洋軍閥はここから起こる。

12月24日

山本海相、秘書官兼副官野間口兼雄中佐を佐世保軍港に急派し、常備艦隊司令長官東郷平八郎中将、同司令官上村彦之丞中将、竹敷要港部司令官片岡七郎中将に対し、日露交渉の経緯と最高首脳会議の決定、各種の戦争準備の進展の事情を伝える書簡を伝達。

司令長官東郷中将は、「如何ナル命令」にも即応できる用意がある旨を述べ、「要ハ我先ヅ彼ニ打撃ヲ与へ、以テ戦機ヲ制スルニ在り。乃(すなは)チ時至ラパ迅速其ノ命ヲ下サレ、以テ機ヲ逸セザランコトヲ望ム」(いつでも先制攻撃を実施できる)と返事。

山本海相は天皇に東郷中将の言葉を上奏し、天皇も「満足ニ思フ」とこたえた。

12月24日

閣議、英で公債募集方針決定。

25日、林董駐英公使に準備の訓令。英が同意せず中止。

12月24日

『国民新聞』12月24日「帝国自衛の権利」は、「朝鮮問題に於て、露西亜は如何に帝国の地位を蔑視し、帝国存在の要件たる権利及び利益を脅迫したり」と韓国で日本に認められている権利をロシアが脅かしていることに怒りを表す。

12月27日

幸徳秋水「世田ヶ谷の襤褸市」(「平民新聞」)。歳末の迫る東京の底辺の状況。

12月28日

臨時閣議、枢密院会議開催、京釜鉄道速成に関する緊急勅令・軍費支弁に関する緊急勅令など公布。即日施行。

海軍軍令部条例改正公布。戦時大本営条例改正。(参謀総長、海軍軍令部長を対等に)。

軍事参議院条例公布。帷幄の下で重要軍務の諮詢に応じる元帥・陸海軍大臣・参謀総長・海軍軍令部長・親補の将官により構成される。

憲法第70条に基づく財政上の必要処分に関する緊急勅令

戦費支弁のための緊急勅令。

「軍費補充ノ為メ臨時支出ヲ為スノ件」

「特別会計」資金(「日清戦争」賠償金のうちの3千万円による軍艦水雷艇補充基金、罹災救助基金、教育基金を合わせ5千円)の転用、一時借入金(無制限)、国庫債券(無制限)によって必要な軍費をまかなう。

「京釜鉄道速成ノ件」 

韓国内の京城-釜山間の鉄道の建設促進のために、「一千万円」の保証と「百七十五万円」の補助を京釜鉄道会社に与える。

曾禰蔵相、アルゼンチン軍艦2隻の購入費を一時借入金を財源にする「臨時事件費」にして海軍予算に組みこみ、海軍は、翌日、ロンドンに送金。

12月28日

常備艦隊を解き、新たに連合艦隊(第1~3艦隊)を編成。第3艦隊は翌年に編入することにして、当面第1・2艦隊を合わせて連合艦隊編成。第1艦隊司令長官兼連合艦隊司令長官東郷平八郎海軍中将。第2艦隊司令長官上村中将。第3艦隊司令長官片岡中将。

12月28日

国庫債券1億円発行。軍備充実のため。

12月28日

ハンガリー、フォン・ノイマン、誕生。

12月29日

片山潜、渡米。渡米協会事業は山根吾一に託す。雑誌「社会主義」は「渡米雑誌」と改題。

20日、社会主義協会の送別会。

21日、秋山定輔・島田三郎らの送別会。

翌37年1月下旬、社会主義協会本部、片山方から平民社に移る。山路愛山「現時の社会問題及び社会主義者」で、堺・幸徳が片山を追出し、社会主義協会を乗っ取ったと書く。

12月29日

仏領コンゴが、ガボン、中央コンゴ、ウバンギ・シャリ、チャドの4つに分割。

12月30日

シカゴの劇場で舞台から出火して大火事。死者600人(大半が婦人・子供)。

12月30日

参謀本部・軍令部首脳会議。開戦時の陸海軍共同作戦計画を決定。海軍側の方針にそう合意。

〔陸軍参謀本部〕参謀総長大山巌元帥、次長児玉源太郎中将、総務部長井口省吾少将、第五部長落合豊三郎少将、第一部長松川敏胤大佐。

〔海軍軍令部〕軍令部長伊東祐亨大将、次長伊集院五郎中将、副官上泉徳彌中佐、参謀財部彪中佐、参謀中野直枝中佐。

12月30日

アルゼンチン巡洋艦2隻の売買契約成立。ロンドン。「日進」「春日」。駐フランス海軍武官竹内平太郎大佐、駐ドイツ海軍武官鈴木貫太郎中佐に、「日進」「春日」の回航責任者としてイタリアに急行すべき旨が、指示される。

(経緯)アルゼンチン・チリ間で軍備制限条約締結。アルゼンチンはイタリアで、チリはイギリスで新造艦を建造中。日本はチリの2艦を購入する計画。ロシアもこれを狙う。チリ側が意図的に価格を吊り上げたため、交渉中断中にイギリスがこれを購入。イギリスからこれを購入するよう交渉するが不調。

この月20日、駐イタリア公使(大山綱介)より建造中のアルゼンチンの2艦が手放されるとの情報。山本海相はこれの買い入れを決意。

日本海軍の「六六艦隊」:

日本海軍は日清戦争後、戦前に予算が通過していた1万2千トン級の「富士」「八島」(明治30年完成)に加え、1万5千トン級の新計画戦艦4隻を建造(新計画戦艦「敷島」「朝日」は明治33年、「初瀬」は明治34年、「三笠」は明治35年に完成)。

日露開戦時、日本はこれら新鋭の戦艦6隻を主力とし、1万トン級の一等巡洋艦(装甲巡洋艦)6隻を保有していた。一等巡洋艦「浅間」「常磐」は明治32年、「八雲」「吾妻」「出雲」は明治33年、「磐手」は明治34年に完成。

これが連合艦隊の主力で、「六六艦隊」の名称は、この戦艦6隻・巡洋艦6隻の構成を意味している。

「八雲」がドイツ、「吾妻」がフランスで建造され、残りの10隻はすべてイギリスで建造。

このほか、巡洋艦12隻、駆逐艦19隻、その他砲艦・水雷艇などを加え、連合艦隊の総排水量は23万3,200トン余。

対するロシアの全艦隊の総排水量は51万トン余であった。"

12月31日

ロシア極東総督アレクセーエフ大将、太平洋艦隊司令長官スタルク中将に、ウラジオストクの巡洋艦隊を宗谷海峡経由日本沿岸へ威嚇のための派出を命令。

12月31日

林芙美子、誕生。


つづく


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