2025年4月29日火曜日

大杉栄とその時代年表(480) 1904(明治37)年1月20日~29日 「我邦は実に人口の繁殖の為に土地の必要あり。而して工業生産物の排泄の為に新市場の必要あり。・・・この大なる要求を満足せしめ、永く他国の圧迫より脱するは戦争の結末による外なし」(長編社説「和戦の決と其得失」(内藤湖南)(「大阪朝日」))     

 

内藤湖南

大杉栄とその時代年表(479) 1904(明治37)年1月17日 「そしてこの戦争は勝敗の如何にかかわらず、恐るべき惨害を人類に及ぼすべきを確信する。それは貧民の犠牲において貪婪(どんらん)な資本家を富ませ、兵士の費用で将軍に多大の栄誉をもたらすが、しかし、何よりも国家にとって最悪なのは戦争が、ほとんど絶望的な窮乏と苦悩の生活に沈淪(ちんりん)している多数無辜(むこ)の寡婦孤児をつくることである。」(「戦争と兵士の家族」(『平民新聞』第10号)) より続く

1904(明治37)年

1月20日

韓国、買収・脅迫により「日韓協定案」纏まる。皇帝からの委任を記さず、韓国外相と林公使の「議定書(Protocol)」とする。

調印予定日を23日とするが、21日に政府は局外中立宣言を行う。韓国政府は、日本に対し局外中立の承認と引換えに「日韓議定書」(秘密同盟)調印を行うと通知

小村外相は、中立不承認を選択。韓国では、林公使との交渉にあたってきた李址鎔外相・閔泳喆軍相が罷免、局外中立を推進してきた李容翊が度支相(蔵相)に就任。

局外中立宣言にたいして、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、デンマーク、清国が承認。日本とロシアは不承認。

中立国が有する領土主権にもとづく権利には、領土・領水内における作戦行勤の禁止、交戦国軍隊の通過禁止、交戦国の港湾使用禁止、交戦国の自国内への避難防止などが含まれる。韓国が中立国となることは、対露戦を準備中の日本にとって作戦計画の全てを失うことを意味した。

1月20日

日本、英米独仏に対し日露交渉への仲裁拒絶を声明。

1月21日

内村鑑三「基督教と社会主義(再び)」(「聖書之研究」第48号)。二者の訣別。

1月22日

ノルウェー、西海岸の町アーレスンド、火事で壊滅状態。1万人以上が焼け出される。

1月23日

社会主義協会、第1回社会主義婦人講演会を開催。

1月24日

『平民新聞』第11号発行

幸徳秋水「戦争と道徳」

「国際道徳の程度低きに藉口して、戦争の罪悪たるを知り乍ら猶ほ之に賛同し之を煽起する者」を痛撃する一文。

「日本社会党と仏国社会党」


「『平民新聞』第十一号は「日本社会党と仏国社会党」と題して、フランス社会党がその機関紙『プチ・レパプリク』の前年十一月二十四日号で、日本の社会主義者に深甚なる同情を寄せたことを報じた。同紙は日本における同志の運動につき、「彼等が非常な困難の中で社会主義の伝道につくしている事。日本政府は社会主義者を迫害し、片山の雑誌が罰金刑に処せられた如きはその一例なる事。東京の社会党はかかる政府の迫害にも屈せず、ますます結束を固くして国家主義者の対露戦争挑発とたたかっている事」に言及している。」(荒畑「平民社時代」)


第11号より、平福百穂に加えて小川芋銭が「平民新聞」挿絵担当に加わる。

1月24日

~29日、長編社説「和戦の決と其得失」(内藤湖南)(「大阪朝日」、5回)。

最終回で、「我邦は実に人口の繁殖の為に土地の必要あり。而して工業生産物の排泄の為に新市場の必要あり。・・・この大なる要求を満足せしめ、永く他国の圧迫より脱するは戦争の結末による外なし」。あからさまな植民地の要求。

池辺三山は、外務省亜細亜局長山座円次郎や参謀本部次長児玉源太郎中将(内務大臣兼台湾総督から一段低い地位に敢えて就き、全陸軍の輿望を担う)と緊密な連絡をとり、正確なデータを入手し、それに基づく情報を刻々大阪へ流す。「大阪朝日」論説陣内藤湖南、西村天囚、鳥居素川は夫々主戦論を唱える


1月25日

露ニコライ2世、極東総督アレクセーエフ大将に対し、旅順とウラジオストク両要塞に戒厳令をしく件を裁可。またアレクセーエフ総督は予備役期間中の艦隊を31日に就役させるよう命令。

1月25日

アメリカの作家ジャック・ロンドン、ハースト系の新聞社の特派員として、この日、横浜に到着。

彼は、朝鮮半島に渡航するために立ち寄った門司の撮影禁止地区で、軍事物資等の輸送準備をしていた日本軍の部隊に遭遇し、そこが撮影禁止地区であることを知らずに撮影を行ったために、スパイ容疑で一晩拘留される。このために仁川到着も遅れ、結局、戦争開始の6日後になり、開戦の第一報を送るという計画は流れてしまった。

1月25日

鉄道軍事供用令公布。

1月25日

(漱石)

「一月二十五日(月)、束京帝国大学文科大学で、午前十時から十二時まで「英文学概説」を講義する。

一月二十六日(火)、東京帝国大学文科大学で、午前十時から十二時まで Macbeth を講義する。午後一時から三時まで「英文学概説」を講義する。

清水彦五郎(東京帝国大学)を訪ね、外山正一博士奨学金寄附に応じようと思い、他とのつり合いについて尋ねようと思ったけれども、不在だったので引き返す。

一月二十七日(水)、外山正一博士奨学金寄附に応じて、清水彦五郎宛手紙に五円を封入して送る。

一月二十八日(木)、みぞれ。東京帝国大学文科大学で、午前十時から十二時まで「英文学概説」を講義する。(金子健二)」


「「英文学概説」の時間に次のような意味のことを話す。”近頃の日本文学創作家や文芸評論家は皆異口同音に、芸術は芸術それ自身の為に存在するものであるから、道徳的要素はこれを駆逐すべきものであると主張しているが、これは大きな誤りであって、人生は道徳なしでは存在するものでなく、髄って道徳そのものと争おうとすると他の人生上の諸問題が、道徳との乖離反目を中心として大きな文学上の材料を提供するのが当然であるから、道徳的要素をぬきにしてしまったならば文学は果たして独自的に存在する事が出来るか杏かは大きな疑問である。(金子健二『人間漱石』)」(荒正人、前掲書)


1月25日

米、ペンシルバニアの鉱山で鉱夫200人が生き埋め。

1月26日

小村寿太郎外相、露に回答督促するよう栗野慎一郎駐露公使に訓令。

1月27日

日本との妥協の可能性のあるロシア側案が届く可能性があるとの外務省情報、大山巌参謀総長に届く(伊藤之雄「立憲国家と日露戦争」第1部第3章「露国の日本に対する英仏側の情報」、1904年1月27日「大山巌文書」、国立国会図書館憲政資料室寄託)。

1月27日

「二六新報」、挙国一致のため、内閣が総辞職して、「人民が倚頼せんとする人をして其局に当らしめ」よ、開戦後も「健全なる立憲政体と皆勝の軍隊とは常に相伴ふもの」であり、議会が戦時税問題で「徒に挙国一致の盲言に愚せられ民力の虚勢を張る」ようなことがあれは「憲政の腐敗」だと説く。

1月27日

「日進」「春日」、安全圏であるコロンボ入港。随行のイギリス巡洋艦とはここで別れる。

1月28日

桂首相、東京・大阪・京都・横浜・名古屋の主要銀行家を官邸に招待し、戦時公債応募要請。曽禰蔵相、席上で価格1億円・年利5分・償還5年と発表。

1月28日

ペテルブルクで「極東特別委員会」。陸相クロパトキンは、満州の軍備不充分のため日本との「等分の平和」を主張、日本側を刺激している朝鮮半島の北緯39度以北の中立化を撤回することを要請。海相アウエラン大将・外相ラムスドルフも同意し、これを決定。

1月29日

(露暦17日)アントン・チェーホフ作、戯曲「桜の園」、モスクワ芸術座で初演。


つづく

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