1904(明治37)年
1月30日
この日付の池辺三山の日記。
陸軍従軍記者配置の件、ロンドン電報の特別待遇を獲得する件、大本営が広島に設置されるらしいので、あらかじめ広島に特設電話を設けて情報の即時伝達を図る件などについて、新聞社幹部と相談したとある。
1月31日
山本海相、各司令長官、司令官に開戦に備える訓示発信。
「……平戦何(いづ)レニカ決セラルルハ、今ヤ数日ノ中ニアルモノト認ム。
干戈相見(あひまみ)ユルニ至ラバ、第一著ニ敵ニ接スルハ我ガ海軍ノ任務ナルベキヲ以テ……我ガ軍隊ノ行動ハ、恒(つね)ニ人道ヲ逸スルガ如キコトナク、終始光輝アル文明ノ代表者トシテ恥ヅル所ナキヲ期セラレムコト、本大臣ノ切ニ望ム所ナリ」
1月31日
芝罘駐在の森義夫海軍中佐よりの諜報報告。
「士官兵員の上陸にあっても艦長大に之を制限せり、一月三十一日は日曜休日なりしも艦隊の各艦よりは一人の水兵上陸するもの無く」と臨戦態勢に入りつつあることを伝える。
1月31日
『平民新聞』第12号発行
英文欄。
「比較的大型の船舶はおおむね開戦の際、政府に徴用される了解の下に登録し、船主はその船舶が近海以外に出航するを好まず、従って北鮮および北海道に就航する船舶は極めて少なく、その貨物運賃は倍加するに至った。小内港航路の船舶すら、その貨物運賃をニー三割方増加したといわれる。
海上保険の三会社は戦時、政府によって徴用される船舶の保険料を、従来の八%弱から一一四%(ママ)に増そうとし、船主はこの過当な要求を拒絶する問題を考究中である。
銀行は昨年末、貸出しにいささかも躊躇しなかったが約二週間前からすこぶる慎重となり、従って利子は逐次増加しつつある。
倉庫は先月来、戦時資材が急速に出て行くが平時資材は入って来ず、東京の五大倉庫会社はみな事業の沈滞を経験している。戦時資材すなわち鉄、鋼、皮革、レザーは今や売行き旺盛を極め、通例この季節には鉄の需要は多くないのだが、今では一〇〇%或はそれ以上に昇っている。
皮革の需要は去る十一月以来増加し、年末には大阪から大量の注文があり、そして東京では供給払底しているので商人は輸入を待望し、値段にかまず供給を得ることに懸命である。
一方、東京の砲兵工廠は新たに十四歳から四十五歳までの女子労働者八百人を雇い入れたが、その賃銀は一日十六銭から五十銭の間にあり、労働時間は少なくとも十時間に及ぶ。しかも戦争が終れば、彼等は情容赦なく工廠から追い出される運命にある。」(荒畑「平民社時代」)
「第十二号には珍しく、進化学説に関する理論的批判が発表されている。この頃、丘浅次郎博士の大著『進化論講話』が出て社会の歓迎をうげ、頓に進化論に関する思想の流行を見るに至った。堺は自署して本書の特別紹介をこころみ、その文章の一般科学書の晦渋に似ぬ平易、そのダーウィン説の解明の周到を賞讃しているが、丘がヤソ教の天地創造説に「余りにウルサク当つているところは、日本では的なきに矢を放つた観がある」と評した。そしてまた、丘の社会主義に対する見解が、世上多くの生存競争論者とひとしく速断に陥っているのを批判してもいる。・・・
その新刊紹介の記事と照応して第一面ほとんど全部を社説「人類と生存競争」にあて、「社会主義が現時の自由競争を禁ぜんとするは、これダーウィニズムの生存競争の理法に矛盾する」となす俗説を反駁した。人類の生存競争は跡を絶たないがその目的理想は常に進化し、その方法は常に向上していることを知らねばならぬ。生物の進化は独り生存競争によるだけでなく、また実に生存協同の恩に浴すること多大なのである。生物の協同の度は常にその食物の多少に比して増減し、食物豊富なれば互いに相親しむも、さもないとその競争は残忍酷烈なるを免がれない。ゆえに衣食の競争が現時のごとく激烈なのは、決して社会を進化せしむる所以でなく、各人をして速かに経済上の平等を得きしめ、その協同の範囲を拡張鞏固ならしめるのでなければ、人類はかえって野獣の域に退化するであろう。
ダーウィンの進化説は千古の真理であるが、ただ生物自然の進化する理法を説明するにとどまり、これを人類社会の上に適用した創見は近世社会主義の祖師マルクスに帰せられなければならぬ。ダーウィンの進化説はマルクスの『資本論』によって、初めて大成されたものというべく、社会主義を以て進化説と矛盾するとなすがごときは未だ社会主義を知らないのみでなく、進化説をも知らないものであると論断したのである。」(荒畑「平民社時代」)
1月31日
(漱石)
「一月三十日(土)、曇。夜、寺田寅彦来る。(寺田寅彦、帰省先から二十九日(金)午後十時、新橋停車場着。)蜜柑と銅硯を土産に貰う。」(荒正人、前掲書)
1月31日
漱石「俳句と外國文學(談話)」(『紫苑』)
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1月下旬
社会主義協会本部を片山潜宅より平民社に移す
つづく

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